グァテマラ大特集!


         Guatemalaという国    グァテマラより(2009.01.28更新)


(San Pedro Nectaの市場風景)


Guatemalaという国



どんなところ?   グァテマラの歴史   おすすめ参考本   私の参加するプロジェクト


<どんなところ?>

 グァテマラは中米にある、四国と北海道を合わせたぐらいの大きさの国です。西に太平洋、東にカリブ海、西側中央には標高1,000m〜3,000mの高原地域が広がります。人口は高原地域に特に密集しており、首都のグァテマラ・シティーも標高1,500mぐらいのところに位置しています。

 高原地域は年中過ごしやすい気候で、常春の国とも呼ばれています。日本で普段から食べられているような野菜や果物、主食のトウモロコシ、コーヒーなどが栽培されています。海に近い平野部は湿気の多い熱帯地域で、マングローブや熱帯林もあり、サトウキビやトロピカルフルーツの生産が盛んです。

 公用語はスペイン語ですが、国民の過半数がマヤ系の先住民族で、マヤ語も幅広く話されていますが、公用語としては認められていません。グァテマラ国内には、マヤ系を含む先住民族は20を越える民族がおり、それぞれがそれぞれの言葉と文化を持っています。それ以外では主にラティーノと呼ばれる先住民族とスペインなど欧米人との混血が多く、こちらも先住民族と欧米の両方の文化が混じった独特の文化を持っています。

 主要な産業は、国際市場の価格暴落以前はサトウキビやコーヒーが主でしたが、現在は観光が一番の収入源となっています。マヤ系先住民族のすばらしい文化、特に織物は人気があります。紀元前から栄えたマヤの遺跡も数多く残されており、特にティカル遺跡は、マヤ最大の遺跡として海外からも多くの観光客が訪れています。また、高原部には火山や湖が点在し、風光明媚なことで有名です。しかし、36年間続いた内戦が1996年に集結したあと、強盗やスリなどが年々増加傾向にあり、治安の悪化が観光に大きな影響を与えています。


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<グァテマラの歴史>

 グァテマラはコロンブスの大陸発見からスペインの侵略に合い、植民地化されました。その後、1821年に周辺の中南米諸国とともに独立しました。しかし、先住民族側から見れば、植民地時代も独立後も、差別され、支配される状態は変わりませんでした。それは他の中南米諸国も同じで、年頃から社会主義運動が活発化し、各地でゲリラが活動を始めます。1959年にキューバでキューバ革命が起こると、周辺国のゲリラ活動も一気に活発化しました。

 こうした社会主義運動の活発化に危機感を感じたアメリカは、中南米において積極的に政府を支援し、反政府組織の壊滅に乗り出します。このことによって内戦はさらに激しく、恐ろしいものになりました。特に山間部に住んでいた先住民族はゲリラをかくまっていると決めつけられ、一方的に政府軍の攻撃を受けて、罪のない市民が多数犠牲となりました。44の村では、大人も子どもも全員殺され、村は破壊されました。その他の村でもたくさんの人が拷問を受け、残虐に殺されました。しかし80年代に入り国際的批判が高まると、アメリカも一転して人権擁護に方針を転換したため、事態は収束に向かい、1992年にはキチェ族出身のリゴベルタ・メンチュウさんがグァテマラの人権問題を訴えてノーベル平和賞を受賞したこともあって、1996年、ついに和平が実現したのです。36年間続いた内戦で、20万人以上の人(多くが一般市民)が亡くなりました。

 しかし、この長く悲惨な内戦は人々の心に大きく深い傷を残しました。他人不信になり、夫を失った多くの女性たちが残され、今もなお、多くの人々があちらこちらで人知れず眠っているのです。また、内戦が終結したあとも、内戦時の事実究明や人権保護活動を行っている人々が次々に脅迫されて国外に逃げたり、また実際に多くの人が殺されています。これは、内戦時に虐殺を行った政府や軍のしわざです。自分たちの罪が明るみに出るのを恐れるとともに、今でも自分たちが好き勝手できるのだと勘違いしているのです。内戦時の真相究明を求める人々は今も当時の政府の責任を追及して戦っています。虐殺に関わったほとんどの人たちは今もグァテマラで裕福な生活を続けているのです。

 私が今回グァテマラに手伝い行くプロジェクトを行う日本ラテンアメリカ協力ネットワークも、人権問題に取り組んでいます。去年も一緒に活動しているグァテマラ人が殺されたり、暴行を受ける事件が起きています。しかし、彼らはそうした脅しに屈することなく、立ち向かっています。マヤの人々はおとなしくて辛抱強く、そしてとても強い人たちです。今まで彼らはひたすら、何百年もの間、必死に堪え忍んできました。しかし、今、彼らは立ち上がろうとしています。


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<おすすめ参考本>

グァテマラ 虐殺の記憶 真実と和解を求めて
          (歴史的記憶の回復プロジェクト編、2000年、岩波書店)
トウモロコシの心 マヤの人々とともに
          (古谷桂信著、2002年、高知新聞社)
私の名はリゴベルタ・メンチュウ マヤ=キチェ族インディオ女性の記録
          (エリザベス・ブルゴス著、1987年、新潮社)

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<私の参加するプロジェクト>

<イサバル県のプロジェクト>
 今回、私が参加するのは、グァテマラ国イサバル県の自然保護区におけるプロジェクトです。世界各地、同じような課題を抱えていると思いますが、ここイサバル県の自然保護区でも、周辺住民による違法伐採や開墾が進んでいます。長年、大地とともに暮らしてきた住民たちも、これではいけない、と思いながらも毎日の生活のためにやむを得ず、そうしているのです。

 そうした貧困とも絡んだ切実な問題には政府は目もくれず、住民を罰し、閉め出すだけで両者の関係は悪化する一方です。今回のプロジェクトでは、日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(RECOM)が長い間一緒に活動してきた農民組織CONICと協力し、住民がよりよい環境で生活でき、また自然保護区との共存する方法を、住民と一緒になって模索するプロジェクトです。

 私は前段階の現状把握のために1ヶ月現地で調査を行います。(2003年8月終了)


 2004年よりRECOM内の「グァテマラ支援グループ」(作業部会?実動部隊?)の一員となりました。何事も有言実行、です!


<ハリケーン災害復興支援>
 
12月に災害復興支援のため、グァテマラに行くことになりました。

 2005年10月5日にグァテマラを襲ったハリケーン・スタンは大きな被害を残して行きました。太平洋側を中心に豪雨が襲い、土砂災害や洪水、浸水が多発、国民の3分の1が被災するという大災害になりました。死者・行方不明者も2000人を超える勢いです。

 また、今回のハリケーン災害は主食のトウモロコシの収穫期にあたり、収穫の多くが被害を受けました。BBCニュースによると、被災者は28万人にのぼるとのことです。特に自給自足で生活している農民にとっては、来年の秋まで収穫が見込めないということで、生き延びた人々の死活問題となっています。

 これをふまえ、緊急支援がひと段落する12月以降にどのような支援が必要とされているのかを調査し、支援に向けての資料づくりを行うことが今回の派遣の目的となります。

 派遣は開発と権利のための行動センターより、12月13日〜12月31日、日本着は1月2日です。

<日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(RECOM)の事務局長に就任しました!>
 2006年4月9日より、RECOMの事務局長となりました。どこまでできるのか不安ですが、皆さんの期待を裏切らないようにがんばりたいと思います。
 ちなみにみるぱ、RECOM、開発と権利のための行動センターの3つで事務局長という肩書きをいただいてしまいました・・・3つも兼任できるって、こんなお気楽な事務局長でよいのでしょうか・・・(笑)

追記:開発と権利のための行動センターは、代表が帰国いたしましたので、事務局を引き継ぎました。

追記2:日本ラテンアメリカ協力ネットワークの事務局長を引退しました。(2009.09.30)

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