お祭りに関わる中で聞いたすてきなこぼれ話をご紹介します。
仁淀弁に間違いがあったらご指摘ください(笑)。
2009年
さすが秋葉さんやねぇ。時雨れたねぇ。(観光客)
「おはようございます」(観光客でもあいさつをすれば、必ず返ってきます。)
世話役も大変やったろうが、子どももみんなぁちゃんと踊れて本当によかった。(地元のお年寄り)
「水くれ」ハイ!水!!「ほんまに水かやっ」(づかれた・・・)
「で、結局何本作るがです?」「竹があるばぁよ」(ミニサイハラづくりで・・・適当すぎるやろ・・・)
まぁ一杯やっていってくださいや(そこに入ったらおしまいか・・・社務所)
今年はよう売れた!(沢渡組、霧之窪組の商人さん、お疲れ様。本村組、がんばれ!)
油売りが見たくて毎年行きます。今年も最高におもしろかった!(友人)
「来年の高校入試はいつかね?(2月の)9,10?」「タケシさん、孫が受験かよ?」「秋葉よ、勉強はせんでええ言えるけど、入試を休めとは言えんなぁ。弱った。」(3月3日、仁淀中学校開かれた学校づくり推進委員会で、2月10日は衣装合わせの日です。)
よう仕上っちゅうと思うぞ。(鳥毛指南より、鳥毛の2人へ、最後の練習後)
2008年
秋葉の神様は重いがぞ。市川家を出たらずっしり御輿が重とうなるがやき。(輿守)
  [ご神体自体は軽いようなのですが、これも神力でしょうか。]
今年の踊り子は、よう声が出た。(世話役)
  [各踊り組ともそれぞれ良さがありますね。]
もう教えることが無いなった(笑)。(ならし2日目に、世話役)
  [初めての子もお父さんと家でみっちり練習してきたみたいで・・・(笑)]
秋葉まつりを応援しようということで始めたんですから。(踊り子の兜を作ってくださった彫塑の先生)
  [完全な赤字(笑)。それでも笑顔でうれしいことを言ってくださいました。]
地区が無くなったらどうなるがやろうか・・・
  [そんなあなた、『えんこ巌』の会へ、ぜひ。そうやって真剣に考える人がいるから、私たちも応援したくなるってもんです。]
「ビール!」「酒しかないが」「・・・じゃあ水」(役を終えた油売りさん)
  [今年は暑かった!油売りの衣装もぬくかった!来年はかまえちょきますき]
「息子さんは?」「今日は熱があってね・・・」(お道具持ち)
  [息子さんは踊り子でした。中越家でダウンしたけど、秋葉神社ではしっかりやりきりましたよ。お疲れさんでした。]
「お年玉、全部使うてかまんき、ホラ貝買うて。」(踊り子)
  [お父さんもびっくり(笑)の秋葉っこ。お年玉じゃ足らんかな・・・]
「○○さん、歌が上手ですねぇ。」「あこの家(家系)は音頭の家系じゃけのう」
2007年
秋葉神社は最後で疲れちゅうけんど、なんでか力がわいてくるがやき。(現鳥毛役)
毎月祭りがあったらえいのににゃぁ。
  [今年は同じセリフ2人から聞きました。]
その刀、よう切れるにゃぁ。(世話役が踊り子に) 
  [腕がいいんだよね!]
「今年はミニサイハラ何本作るんですか」「900本!」「・・・毎年増えますねぇ!」ニヤッと笑って「ねぇ!」(沢渡組のゆうパック用ミニサイハラ売れ行き好調)
このお囃子、耳につくねぇ。(手伝いに来た知り合い)
ご苦労さん。そればぁ手伝うてくれたらご利益があるろう。(世話役)
  [ありがとうございます。]
「今年は天気がよかったき、足袋も洗うたら来年も使えるねぇ。」「けんどやっぱり鳥毛の足袋は破けちょったよ。」(仕上げに来た女性陣)
「今日はどう?」「絶不調です!」(現鳥毛役)
  [なんのなんの、すごかったですよ!]
「今年よかったよ!」「どこがよ?」「どっこも」「まぁ来年見よれや!」(まだ不満足・現鳥毛役)
やっぱり紋付き袴はいかんな。(元鳥毛役)
○○組と△△組は踊り子がようそろうちゅう。うちのはまだまだや。(世話役)
  [どの組でもお互い言ってましたよ。みんな上手やった。]
2006年
私が初めて鳥毛をやったのは15歳の時でねぇ、相手はこの人。こっちは17歳やった。戦争で若い人がおらんかったからねぇ。
「自分の理想があるがって。あと3年ばぁしかやらせてもらえんろうけんど、うまくなりたい。」「さすが○○さんの息子やねぇって言われたいがやろ?」「うん。」(現鳥毛役)(お父さんも元鳥毛役で、うまいと評判だった)
やっぱり秋葉が近づくと雪になるねぇ。(バイト先で)
カブト(鳥毛の羽を挿す部分)は毎年作り直すんよ。○○さんが毎年作らんと作り方を忘れるって。
「正月明けたらもうだんなは落ち着きがなくてねぇ、自分は出やせんのにぎっちり(しょちゅう)(仁淀へ)帰りよったよ。」「そりゃそうじゃ、高知(市)くらい(の近さ)じゃったら来ずにおれるもんかよ。」(東京や大阪から帰ってくる人もいます。)
太鼓と笛の音が頭から離れない・・・(祭り翌日に、によど雑木団々員)
鳥毛をやめた年はそりゃぁつらいで。足でも折ってくれんろうかと思いよった。(代役で出たかった。)涙が出るぐらいつらかった。
昔は今みたいにいろんな色の紙もなくて、紙を染めるところから始めよったんよ。切るのも今はカッターですっと切れるけんど、昔は包丁を研ぎながら切ったもんよ。
今でも出てくれ言われたら出たいぞ。(元鳥毛役)
孫が大学受験の時、「受験だから今年は秋葉はせん」と言ったけんど、太鼓や笛の音が聞こえてきたら家におれるもんかよ。「どうせ勉強なんぞできやせんき、秋葉をやれ」って言うてやらした。孫は2人おって、どっちも受験の時もやらせたけんど、2人とも大学に合格したよ。
    
2005年
市川家でお神楽をやっているときにご神体を御輿に移します。みんながお神楽に夢中になっているうちにね。
笛は生まれつき向いている子とそうでない子がおってね、それで役を決めるんじゃ。父親が笛を吹きよったら息子も吹ける子が多いね。
お嫁に来たときはびっくりしました。男の人はみんな秋葉に夢中で。でも今では私も楽しみにしています。
昔は鳥毛をやったらすぐ嫁が決まるもんじゃった。(かっこいいので)
  
2004年
30年か40年ぐらい前に、過疎化高齢化でお祭りを続けるのがしんどくなって、やめようかという人がおった。そうしたらその人の家が火事になってねぇ。シイタケの乾燥室から出火して・・・けんど、床の間に秋葉様のお守りが置いてあったんじゃが、床の間だけ焼け残ったんよ。ほんでたたりじゃという話になってねぇ。お祭りは今でも続いとる。
ある家が火事になって、風の強い日でね、隣の家にも燃え移ろうとしよった。それで秋葉様のお守りを家から取ってきて祈ったら、風向きが変わって、燃えたのはその1軒ですんだんじゃよ。
ダムができてみんなお金をたくさんもらって、貧しくても助け合うという習慣がなくなってしもうた。それでも秋葉のときはみんなお金をもらえる訳じゃないけど一致団結して協力しあうんよ。秋葉の時だけは昔に戻ったようで楽しいよ。
昔は子どもがたくさんおって、踊り子になるのも選ばれた子どもだけ。学校が休めるし、みんなやりたくてしかたなかったなぁ。でも家に帰っても親父にしごかれて、泣きながら練習したもんよ。
昔は子どもが練習に使う竹や木刀は各家で父親が作って持たせたんよ。
雪の日は足が濡れて凍えて、もとに戻るのに1週間はかかるねぇ。
   
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